あかりや次七

2020.07.09|風習のこと

家紋はどのようにして生まれた?

ご家庭の家紋 知っていますか?

織田信長の家紋といえば、全部で7種類あるといわれており、その中でも最初の頃に使用していた「織田木瓜紋」が有名です。
明智光秀の家紋といえば、「桔梗紋」を使用していたということが知られています。

みなさまは、ご家庭の家紋をご存じですか?

紋典などの家紋帳を見てみると、4500種類以上の家紋が載っています。
組み合わせや紋帳に載っていない家紋もあるので、実際はもっと多くの種類の家紋が存在していることになります。

家紋の歴史

家紋の歴史をちょっと調べてみました…。

諸説ありますが、家紋の発祥は平安時代中期、公家たちが故人を象徴する目印として、輿や牛車、持ち物に付けた「身印し」が始まりだそうです。それが認知されるにしたがって、個人の「身印し」からの家の紋章「家紋」として使われるようになっていったようです。
その頃、台頭してきた武士も独自の「印し」を使い始め、戦場で敵味方を判別する目印として重要なものとなります。戦乱が全国に広がれるにつれ家紋も全国へと広がっていったと言われています。

徳川葵

徳川時代に入ると「葵の紋」のように、権威の象徴として用いられ、服装による威儀を正す目的など儀礼的意味合いが強くなっていったようです。
町民文化が花開いた元禄時代には、家紋は庶民にも解放されると芸能文化人から町衆も好みの紋を身につけるようになり、今でいう「格好良さ」を競い合って家紋を作ったようで、家紋を専門に紋上絵師が登場し一気にデザインが増加し、浮世絵には多くの家紋入り提灯が描かれています。

明治時代になって一般庶民にも苗字と家紋の使用も許可されました。人々は城主や土地の名士が使用していた家紋をそのまま使ったり、少し変えて用いたりすることが多かったようです。現在でも家紋に地域性があるのはこのような背景によるものではないかと推測されます。

太平洋戦争後の混乱と貧困、生活様式の欧米化への傾注、家族制度の崩壊、そして核家族化へと激しく変遷してきた中、豊かな生活が訪れると家紋ブームが静かに復活してきました。お墓、葬儀用腕章、葬儀用ネクタイ、仏具、三月五月の節句物など多方面で入れられるようになり、盆提灯にも家紋を入れたいというご要望が、増加して今日に至っています。

家紋と提灯

現在は、通常の大内行灯への家紋入れを始めとして、住環境に合わせて創作行灯といわれる組立済みのタイプや小さいサイズの行灯に家紋入れをして用いられるご家庭も増えています。

家紋入れ提灯は、ご家庭の家紋をお聞きしてからの受注生産品となります。通常、ご注文を頂いてから約14日で製作をします。
また、お持ちの提灯にplus oneの形で家紋入りの輪付火袋のみをご購入いただくこともできます。火袋部分のみを付け替えてお盆だけでなく法事など時期を問わずに使用することができます。

ご家庭の家紋を「身印し」として、様々な機会に使われてみてはいかがでしょうか。

家紋の輪付火袋はこちら

関連記事
RELATED STORY

お問い合わせ
CONTACT

製品やご購入前のご相談など、
お気軽にお問い合わせください。

よくいただくご質問

製品に関するご質問やお見積りなど、
下記フォームもご利用ください。

お問い合わせフォーム

ご利用ガイド
SHOPPING GUIDE

「あかりや次七」を初めてご利用いただくお客様は
まずはこちらのページをご覧ください。
お客様から寄せられるご質問についてもご紹介しています。

-お支払いについて
-配送・送料について

詳しく見る